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平成26年4月月24日の
日本人間ドッグ学会からの健診基準値に対する
日本動脈硬化学会の見解
  
 今回、日本人間ドック学会は、健診における脂質異常症の基準値を変更する方向での検討結果を公表した。LDLコレステロールは男性 178mg/dlまで、女性 30歳~44歳は 152 mg/dlまで、45歳~64歳は 183 mg/dlまで、65歳~80歳は 190 mg/dlまで、トリグリセライドに関して男性 198 mg/dlまで、女性 134 mg/dlまでを正常とし、それ以上を異常とする変更である。すなわち、男女とも LDLコレステロールの基準値を上げ、トリグリセライドに関しては男性の基準値を上げ、女性の基準値を下げることになる。これらの基準値は人間ドックを受診した“超健常人(スーパーノーマルの人)”と人間ドック学会が規定した集団の分布から導き出されており、その対象集団の平均値が高ければ、当然その基準値は高くなる。そのため、男性の LDLコレステロールやトリグリセライドの基準値が女性に比べ高く設定されている。また、女性では閉経前後から LDLコレステロールが高くなるため、女性のみ年齢に応じて基準値が高く設定されている。しかしながら、これらの基準値に対する考え方は日本動脈硬化学会の立場とは全く異なるものである。以下に日本動脈硬化学会の立場を表明する。
 血清 LDLコレステロール値が冠動脈疾患の発症及びそれによる死亡と明確な関連があることは、日本のみならず、世界的に多くのコホート研究で証明されている。また、LDLコレステロールの低下により、冠動脈疾患を含めた心血管イベントの発症が抑制されることも多くの無作為化比較対照試験で示されている。従って内外の診療ガイドラインでは、単なる1つの集団における検査値の分布ではなく、生活習慣の改善や薬物治療により心血管イベントを未然に防ぐことを目的として高 LDLコレステロール血症等の基準が定められている
 日本動脈硬化学会において、高 LDLコレステロール血症の診断基準値を 140mg/dl以上、境界域高 LDLコレステロール血症の診断基準値を120~139mg/dlと設定しているが、これは LDLコレステロール 140mg/dl以上となった場合に直ちに薬物治療が必要ということを意味しているわけではない。LDLコレステロールを低下させるためだけではなく、高血圧や喫煙など他の危険因子の改善を同時に目指すような適切な生活習慣の改善が必要であることを意味している。脂質異常症の治療に関して本学会では絶対リスクの概念を導入している。すなわち、同じ LDLコレステロール値であったとしても,その人の年齢や性別、危険因子の状態によって 10年間で発症する冠動脈疾患のリスクは異なるという考え方である。したがって、同じ LDLコレステロール値であっても男性のほうが女性より冠動脈疾患発症リスクは高くなり、欧米人は日本人より冠動脈疾患発症リスクが高くなる。現在、動脈硬化性疾患予防ガイドライン 2012年版においては全国から層化無作為抽出された集団の 19年追跡調査であるNIPPON DATA80に基づいた絶対リスクの評価を行っている。従って、同じコレステロール値の同年代の男女がいたとしても、他に危険因子がない場合は男性のほうが冠動脈疾患発症の絶対リスクが高くなるため、冠動脈疾患発症のリスクの高さに応じた基準値を推奨することとなる。すなわち、リスクの高い人に対して低い基準値設定することになる。このように考えると人間ドック学会が定めた基準値が男女で逆転しているのは、動脈硬化性疾患予防の観点から考えた場合、重大な齟齬が生じることとなる。
 トリグリセライドについては以下の通りである。男性におけるトリグリセライドは 20歳代より上昇しはじめ、 60歳代となるまで男性のトリグリセライド値のほうが女性に比べ高値を示す。一方、女性においても LDLコレステロールと同様、閉経前後からトリグリセライド値は上昇する。このような結果から考えるとその集団の値をもとに設定された人間ドック学会の基準でトリグリセライドの基準が男性で高くなっていることが理解できる。しかしながら、女性においては LDLコレステロールと異なり、年齢変化を反映していないのは、統一性に欠けると言わざるを得ない。トリグリセライドの増加も LDLコレステロールと同様に心血管イベントと関係しているが、糖尿病やメタボリックシンドロームの病態とも強く関連しており、これらの疾患予防のため基準値が設定されている。男性でこれらの疾患の発症頻度がより高いにもかかわらず、その基準値を上げることは、疾患予防の観点から同意することができない。今回人間ドック学会が提唱しているように、現在の測定値分布に基づいて基準を設定するアプローチ法では、現在の心血管イベント発症リスクをそのまま是認することになり、人間ドックの目的の一つである疾患予防を目指す基準値を定めるという姿勢が取り入れられていないことも大きな問題である。 
 さらに、人間ドック学会の基準値の設定にはがんなどの病歴がなく、高血圧・糖尿病・脂質異常症・高尿酸血症などで薬を服用しておらず、 BMI<25kg/m、収縮期血圧<130/85mmHgで喫煙習慣がないなどの条件に合致する超健康人のデータを解析し、基準値を定めている。しかしながら、これらの中でたとえば脂質異常症の治療薬を服用してはいないが治療すべき対象も数多く含まれている可能性、また無症状ではあるが潜在性の粥状動脈硬化性等の疾患を有する症例は数多く混在していることは否定できない。すなわち、たまたまその時点で脳・心血管イベントを免れている人も含まれていて、それは将来の低リスクを保証するものではない。限られた検査項目での断面解析で「超健康人」という定義をすることに大きな問題がある。
 また、人間ドック学会の「新たな健診の基本検査の基準範囲.日本人間ドック学会と健保連による 150万人のメガスタデイー」の本文には、以下のような記載がある。「健診などに使用される臨床検査の判断値は、基準範囲とは異なり疾患の疫学的研究によって得られた成績を基に、専門学会などで設定されたものである。したがって両者は互いに異なるものであるが、一般的には基準範囲イコール正常値あるいは疾患判別値と理解されるケースがしばしばある。そのため、基準範囲が一人歩きし、疾患の診断や治療に影響を与える可能性がある。ここで設定した基準範囲はあくまで上記定義に基づいて、人間ドック受診者の検査データを用いて予防医学的な観点から設定したものである事をよく認識して頂きたい。」この記載において、最後の文章には “予防医学的観点から設定した ”という記載があるが、健診受診者の前向きフォローアップによるアウトカムのデータを伴っていないため、エビデンスレベルも低く、これらの値を臨床的アウトカムと関連する基準値として設定すること自体に本質的な問題があろう。 
 以上の点から、日本動脈硬化学会としてはこのような誤解を生じる可能性のある人間ドック学会の「基準範囲」は日本国民の健康に悪影響を及ぼしかねない危険なものであり、一般社会や医療界に誤解を与えないように、健診の本来の目的に沿って人間ドック学会には直ちに適切な対応をお願いしたい
平成 26年 4月 23日
一般社団法人日本動脈硬化学会理事会